不動産取引の歴史

公開日:2023年01月13日

敷金

私たちは、賃貸物件を借りて家賃を支払って暮らしています。またはお金を払って購入しています。

しかし明治に入る以前の日本には、庶民が土地を所有する術はなかったのをご存じですか?そして賃貸システムはいつ生まれたのか?

 

今回は不動産についての歴史を書いてみようと思います。

所有すると言う概念

縄文時代2

不動産の歴史は「所有」の歴史を知ることで見えてきます。

「所有」の概念は本能に根ざしたもので、生きるために必要な物への所有意識が始まりと言えます。例えば、“食料”や子孫を残すために必要な“人”です。

 

そして所有意識は敵対者や競争者がいることで明確に生まれます。もし、食べても食べても食料があふれ出てくるのであれば、所有意識を持つことはありませんよね。

 

そしてその所有意識が「土地」に向いたのは、考古学では農耕が始まったころと考えられています。

人口増加は食料の供給量と比例するため、農耕によって食料を生産できるようになると人口は爆発的に増加しました。そうなれば当然、更に収穫量を確保できる肥沃な土地が必要になります。

 

「良い土地」の確保を巡って争奪戦の始まりです。これがまさに人類の戦争の歴史の始まりにもなったのでした。しかし古代の土地所有は、所有と言うより“縄張り”のような勢力図的な捉え方でした。

そして土地の争奪戦は、戦争だけでなく文明・文化ももたらしたのです。

土地を「所有」するものとしたのはいつか

飛鳥時代

土地を取り合い始めた古代に土地は所有ではなく“縄張り”、つまり「占有」していると言う状態でした。土地の権利を誰に保証されたわけでもない以上、占有をし続けるためにはその場所を守り続ける必要があります。そこで集団でその土地を守る「国」が出来ていきました。とある資料によると卑弥呼の時代の300年前には土地占有の争いがあったようです。

 

始めて土地を「所有」すると言う考え方が取り入れられたのは、飛鳥時代645年の「大化の改新」の時です。この時謳われた「公地公民」は、土地は公地であり民は公民である、つまり全ての土地と人民は朝廷のものであると言う考え方です。初めて「所有者」と言う概念が生まれた瞬間でした。

 

そして奈良時代になると、「墾田永年私財法」と言う、開墾した耕地の永年私財化を認める聖武天皇の勅が出されました。そこからどんどん開墾し大規模な土地を所有する貴族や豪族などが出始めました。このシステム及び所有化した土地の事を「荘園」と呼び、年貢である米の徴収手段として土地所有は広がっていったのです。

 

広大な荘園として肥大化するうちその有力所有者は守護大名となり、国家から切り離され個人所有となった土地の存在が戦国大名として群雄割拠するたくさんの小国を生み出すことになりました。

再び私有地は公地へ

土地

これまで開墾されてきた荘園は、戦国時代の半ば頃突如として消えてしまいます。豊臣秀吉の「太閤検地」です。

秀吉は強大な武力を背景に各地の戦国大名の領地を一旦召し上げ、恭順を誓った大名には領地の統治権を認める契約を交わし、天下を統一していったのです。これにより、私有地は再び公地へと逆戻りしました。大名たちからすれば何ともやるせない気持ちだったことでしょう。

 

封建制度の根幹となるのは、主君と臣下の間で交わされる「契約」です。秀吉の太閤検地同様、江戸幕府も様々な物を契約によって保証していきました。そしてその契約に付随した保証が売買の対象となるようになります。

 

土地については売買とは言っても所有権は幕府にあります。金銭で移譲できるのは使用権、今でいう占有権です。そして売買の際に幕府は「沽券状」と言う売買を証明する覚書を発行しました。沽券状には土地の場所や広さ、使用者の名前が記されており、この沽券状が現在の「権利書」のはじまりとなります。

 

因みに「沽券」とは、プライドや面目が保てないと言う意味で使われる「沽券に関わる」の沽券です。「沽券」と言う言葉が品位や価値そのものの事として使われています。

沽券状が元になって生まれた不動産の賃貸制度

賃貸長屋

沽券状は質に入れたり貸したりすることが出来ました。土地を使用する権利を買い取り、それを他の人に貸して賃料を得る事が出来るようになったのです。

当時、土地は武家や寺社が8割を牛耳っており、庶民は狭い範囲で密集して暮らさなければなりませんでした。そんな中で生まれたのが、裕福な商人が土地の使用権をたくさん買い取り庶民に賃貸する仕組みです。これにより、土地をビジネスに利用するシステムが誕生したのでした。

 

沽券状が生まれる前までは、土地を他人に明け渡すことは土地に係る全ての権利を放棄することを意味していました。ですが沽券の登場により、他人に土地の使用を許しても、使用権は維持できるようになったのです。

これは実質的に幕府が土地の個人所有を認めたのと同じことでした。

明治時代に入ると近代的な土地所有が可能に

土地売買

明治5年に発布された「太政官布告第50号」によってそれまで禁止されていた土地の売買が全国的に認められ、続く明治6年に公布された「地租改正法」による地租改正事業が始まり、明治14年にほぼ完了しました。これにより土地の所有権が公認され、地租(土地に係る租税、現在の土地に係る固定資産税)はそれまでの物納から金納になりました。

 

地租は地券を交付して一律に課税する方式で、江戸時代に地子(年貢)を免除されていた武家地や町地なども課税の対象となりました。更に、地租は耕作者が納めるものでしたが、この地租改正法の施行によって土地の所有者が支払うものに変更されたのです。

 

そもそも、武家政権だった間各地はそこを治める大名が支配していたため、明治政府は財政資金を賄うために新しい税制が必要でした。そこで地租改正法より先にまず行われたのは「廃藩置県」です。

これにより大名から土地を取り上げ天皇(新政府)の物とし、天皇が人民に土地を与え納税させると言う図式に変更したのです。

借地法・借家法の制定によって変わる社会

法律

明治の地租改正法により土地の私的所有が可能になった反面、土地を所有しても地租を納税できない人もおり、そういう人々は土地を手放しました。しかし土地を手放しても住む場所を失うわけには行かないため、借家に住んだり土地を借りたりして住まいを確保する人が増えました。

 

しかしこの頃に施行されていた民法(明治29年制定)では、借地や借家に関する「賃借権」の規定こそあれ、土地の所有権が移転=つまり持ち主が変わった場合、以前の持ち主から借りていた賃借人(借りている人)は「賃借権」を失い、新しい持ち主が“土地に建っている建物を取り壊せ”と言えば従わなければなりませんでした。

 

このことは社会問題にまでなり(住まいを失う人が続出すれば当然ですよね)政府は賃借人を保護するため明治42年「建物保護ニ関スル法律」を制定し、“建物を登記することで地上権や賃借権は第三者(この場合新しい持ち主)に対抗できる(権利を主張できる)”とされました。

更に、12年後の大正10年には借地権をより強く保護するため「借地法」と「借家法」が制定されました。

また、借地借家に関連する各種紛争が多発するようになったため、これを簡易迅速に解決するため大正11年に「借地借家調停法」も制定されました。この法律により、関東大震災後に借地借家紛争が多発した際は借地人・借家人の保護に効果を上げたとされています。

 

借地法は昭和16年に改正され、更に賃借人の権利が強固に保護されました。

 

そうなると起こるのはどんな問題でしょうか?賃貸人(貸す人)の気持ちで考えてみると見えてくるのですが、貸す側としては「借地法」「借家法」により、“ひとたび土地や家を貸してしまうと半永久的に戻ってこない、それは困る!“と言うことです。次には借地・借家の供給を渋るのは当然のことと言えます。

 

またバブル経済による地価上昇の背景には貸し渋りも少なからず影響していると言う説もあります。

つまり、賃貸人にとって物件を提供しやすい状況を作る必要があったのです。

 

そこで平成4年に現在の「借地借家法」が施行され、「建物保護ニ関スル法律」「借地法」「借家法」は廃止されました。

 

借地借家法では、契約更新をせずに済む“定期借地権(定期借家権は平成11年改正により新設)”と、契約終了の正当事由に満たない場合の“立退き料”が新設されました。これには土地所有者が土地を提供しやすくする狙いがありました。

 

借地借家法は賃貸人と賃借人の権利関係の平等を保障し、一般に弱い立場に置かれがちである賃借人の保護を図ったものですが、賃貸人が貸している土地・家を正当に取り戻す方法についても新設され、旧法に比べるとバランスが取れた内容であると言えるでしょう。

最後に

不動産の歴史を振り返ってみると、「所有」と言う概念が深く関わっていました。

現代人は本当に色々な物に「所有」するためのお金を消費していますが、元々は生きるための本能が生んだ感覚、現代ではそこに文明的な要素が融合しています。土地や家を所有すると言う、大半が「生きる」に直結する“不動産業”ですが、お客様のお求めに出来る限り添える様、これからも精進してまいります。

沽券状
沽券状2

画像左:古沽券状 ここけんじょう

国立国会図書館デジタルコレクションより

https://dl.ndl.go.jp/pid/2570815/1/7

 

画像右:沽券状写 こけんじょううつし(京都大学附属図書館所蔵)

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https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00029058